【Studies】3D Benchy SpeedBoatRace Challenge

こんにちは、ファブラボ神田錦町の井上です。

前回の投稿で3Dプリンターのカスタムアップグレードについて触れましたが、色々なカスタムパーツを探す中で、SNS上で展開されている企画を見つけたので紹介したいと思います。その名も「3D Benchy SpeedBoatRace Challenge」。Annex Engineering社が主催するこの企画は、3Dプリンターユーザーにはお馴染みの3Dモデル、「3D Benchy」をいかに早く出力するかを競うものです。3D Benchyの出力には通常1.5〜2時間程度かかるのが一般的ですが、各挑戦者はプリンターを改造し、ソフトやファームウェアをいじり倒し、あの手この手で造形の高速化を図ります。どれほどのスピードか、まずは下の動画をご覧ください。

動画のサムネールに答えが出ていますが、通常1.5〜2時間かかる造形を、3分27秒という驚異的なスピードで造形しています。3Dプリンター界のエクストリームスポーツのようなこの企画に、世界中のコアな3Dプリンターユーザーが参加して、タイムを競っています。

ルール

SpeedBoatRace Challengeには誰でも参加できますが、いくつかのルールがあります。

  1. 使用していいフィラメントはPLA、PLA+、PETG、ASA、ABS、ABS+に限る
    ※シルクフィラメントやメタリックフィラメント、異素材(木や金属など)を混ぜ込んだ特殊フィラメントは、見た目上の造形不良を目立ちにくくさせる場合があるのでNG
  2. ノズル径は最大0.5mmまで
  3. 印刷レイヤーは最大0.25mmまで(インフィルを交互に入れるのは可)
  4. 上面と底面は3レイヤーとする
  5. ウォール数は2で、インフィル密度は10%とする
  6. 造形物は(常識的な範囲で)正確な寸法であること(見た目が良ければさらに良し)
  7. 使用するプリンターはステッピングモーター駆動であること
  8. 造形の開始から終了までをタイマーと一緒に動画で記録すること(スマホ可)
  9. 記録した動画をYouTubeに投稿し、#SpeedBoatRaceのタグをつけること
  10. 造形プロファイル(Gcodeなど)をシェアすること

ルールについては追加・更新されたり、時に拡大解釈されるケースもあるようですが、重要なのはコミュニティ全体のスキル向上に繋がること、何より参加者自身が楽しむことを重視しています。多分にギークなチャレンジですが、2010年代初頭から始まった3Dプリンターの隆盛は、こうした草の根的な研究活動によって支えられてきました。

ハイスピードプリントを可能にするために

SpeedBoatRace Challengeに挑戦しているメイカーが、どんな工夫をしているのか大まかに見てみましょう。

・3Dプリンター本体
急加速や急停止を可能にする制動性能が不可欠なため、各軸をリニアレールでサポートしているケースが多いようです。また、プリントヘッドがXY軸に動くCoreXY、CroXY機構を持つプリンターの方が高速化に有利です。高速化すると造形中の振動も大きくなるため、プリンター自体の剛性や制震性も考慮に入れる必要があります。

・モーター
プリントヘッドをパワフルに動かすため、各軸に2つのステッピングモーターを用いる場合が多いようです。また多くの場合で一般的に使われているステッピングモーターよりも大きく、48V駆動でステップ角が0.9°(一般的には1.8°)のモーターが用いられています。

・ヒートエンドと流量
プリントヘッドを早く動かして造形する分、より短時間で多くの材料を加熱して流さないといけません。正規のヒートエンドでは高い流量を維持できないため、ほぼ例外なくアップグレードパーツが用いられています。前回の記事で紹介したSlice Engineering社のMosquitoのように、様々な特性をもったアップグレードパーツが市販されているので、パーツ選びに悩むのも楽しみを広げるポイントになるでしょう。

・フィラメント
このチャレンジで使用が認められているフィラメントは上記のルールに記載のものに限られています。同じ素材であっても、メーカーやラインナップによっては中の成分や特性が微妙に異なってくるため、特定のブランドを好んで用いる挑戦者もいるようです。高速造形で求められるのは、加熱によって早く変性し、造形温度時の粘度が低く、また素早く冷却されて硬質化される、そんな材料特性になります。

・冷却
材料を効率よく加熱して出力することができても、固まってくれなければ次の層を支えることができません。通常はヒートエンドに取り付けられている冷却ファンで出力後の材料を冷やしますが、高速造形ではそれでも冷却が間に合わないため、造形テーブルの周囲にもファンを設置して冷却効率を高める工夫がなされています。また高速演算に伴い、通常より大きな熱をもつモータードライバーやコントローラーボードもしっかり冷却する必要があります。

・ファームウェア
ファームウェアは、3Dプリンター本体にインストールされた制御用ソフトウェアです(MarlinやRepRapなどが代表的です)。このファームウェアが読み込んだGコードの内容に合わせて、各モーターやファンなどを制御する仕組みです。いわば小さなコンピューターが、3Dプリンターを構成する各デバイスに指示を与えているわけですが、人間が日常的に使ってるコンピューターよりはるかに非力です。一般的な使い方ではそれでも問題ありませんが、造形を高速化させるとなると、その分素早く計算して指示を与えられる、そんな頭脳が必要になってきます。そこで、多くの挑戦者は「Klipper」と呼ばれるファームウェアに切り替えて使っているようです。Klipperは、Raspberry Piのような、より高度な頭脳に処理を「肩代わり」させることで、制御を高速化できるのが最大の特徴です。

あとがき

賞金が出るコンペでもなんでもないSpeedBoatRace Challengeですが、シンプルなルールに比して各挑戦者の本気度合いが際立ちます。ソフト・ハードの両面からアプローチし、そこで得られた知見がコミュニティに還元され、次の挑戦につながっていく。こうしたサイクルによって、Annex Engineering社が最初に投稿した12.5分の記録から、わずか1年ほどの間に世界中の愛好家を巻き込み、上記の映像のような記録が生まれました。

「これができたから何の役に立つのか?」に対する答えは、きっとこれから言語化されていくのでしょう。もしかしたらここで得られた知見が次の3Dプリンターやフィラメントの開発に活かされるかもしれません。世の中がどんなに便利になったとしても、意味を言語化できないような不真面目なことを大真面目に挑戦できるのは人間の特権で、何か本質的に新しいものが生まれるとすれば、そういった挑戦のなかからなのだろうと感じます。

出典:Join the SpeedBoatRace: Push 3D Printing Speed, by Ken Douglas, at all3dp.com