【Studies】刺繍ミシン+昇華プリント

こんにちは、ファブラボ神田錦町の井上です。

このところスタディーズの連載が3Dプリンターに偏っていたので、久しぶりに刺繍ミシンを取り上げます。弊社はこれまでにもタジマ「彩」を使ったワークショップや刺繍ミシン講座を開催しつつ、ワッペンやピンバッジなど少量多品種の生産に刺繍ミシンを活用してきました。一般的な「平縫い」でできる刺繍は一通りやってきたので、「昇華プリント」と組み合わせた実験を行いました。

昇華プリント(正確には昇華転写プリント)とは、専用の転写用紙に反転印刷された画像を、生地に熱転写して染める手法です。染料なので生地の手触りに影響がない反面、「ポリエステル」にしか染色できないという特徴があります。転写用紙に印刷した内容がそのまま転写されるので、鮮やかで細かな画像表現が可能な代わりに、生地の色の影響を受けてしまうため、色付きの生地(特に濃色)には不向きな技法でもあります。

一方の刺繍は糸だけで図柄を表現するので、印刷の様な微細な表現やグラデーションが苦手です。そこで、画像の印象に合うレリーフを刺繍で表現した上に、昇華プリントで細かな画像表現を組み合わせる手段を思いつきました。今回の事例では、ヨハネス・フェルメールの「‎真珠の耳飾りの少女」をモチーフに実験を行いました。

画像を刺繍データ制作ソフト(Wilcom Embroidery Studio)に読み込み、刺繍データを作っていきます。このモチーフを選んだのは、刺繍では表現しづらい細かな陰影やディテールがありつつ、被写体が明確で背景がシンプルなため、刺繍レリーフのイメージがしやすかったからです。まずは少女の立体感や衣服に合わせて大まかに面をとり、刺繍データを作っていきます。

首より襟を手前にするなど、糸の重なり方も絵に合う様に組み立て、糸の向きも絵の印象に合う様に調整します。絵の魅力が集中する少女の顔は、3つの面に分けて構成しています。

最後に画像の周囲にサテン縫いの枠線を設けて、実験データ第一弾の完成です。

次に刺繍する生地や糸についてです。昇華プリントする以上、生地も糸もポリエステル製に限られます。今回選んだ生地は「エンブクロス」というポリエステル生地で、タタミ縫いされた様に見える特殊な生地です。背景など大きな面積を刺繍する手間を省く様な使い方が一般的ですが、今回は刺繍との見た目の相性で選びました。糸はポリエステル製の「シルメイト(白)」と「テトロンスパン糸」の2種類で試しました。

糸は、その構造で「フィラメント糸」と「スパン糸」の2種類に分かれます(シルメイトはフィラメント糸)。違いは糸を構成する繊維の長さで、長い繊維から作られるのが「フィラメント糸」、短い繊維から作られるのが「スパン糸」です。一般的にフィラメント糸は光沢があり、スパン糸はマットな色合いで、生地との相性や仕上がりに合わせて使い分けます。

上の画像は、テトロンスパン糸で縫った直後のものです。大雑把に面をとっただけですが、シルエットだけでもモチーフの想像ができます。昇華転写紙との位置合わせのため、レリーフと一緒にランニングステッチで周囲を縫っています。この枠線は昇華プリントしたあとに縫うサテン縫いの枠で隠れるので、仕上がりに影響はありません。シルメイトでも同じ様に縫って、昇華プリントします。

昇華プリント紙には、左右反転された画像が印刷されます。ランニングステッチで縫った外形線に画像を合わせて、マスキングテープなどで仮止めします。

刺繍した布と昇華プリント紙をヒートプレスにセットします。設定温度は180度で、40秒間プレスします。

布と刺繍にしっかり昇華転写されました。大きさは横5cmx縦7cmほどですが、このサイズで微細な表現を刺繍だけで表現するのは不可能で、改めて昇華転写の魅力を感じます。

再びミシンにセットし、枠を縫います。縫い終わったらヒートカットするので、枠にはレーヨン糸を用います。

枠を縫い終えたらミシンから取り外し、ハンダゴテで枠をなぞる様に切り抜きます。ポリエステルは丈夫な布(糸)ですが熱には弱く、逆にレーヨン糸は熱に強いため、それぞれの特性を活かしたカット方法です。枠は画像を囲むフレームであると同時に、ヒートカットのガイドでもあります。

最初の試作が完成しました。左がテトロンスパン糸で縫ったもの、右がシルメイトで縫ったものです。最初にテトロンスパン糸で縫った方に昇華転写したのですが、プレス圧が強すぎたのか刺繍の糸目が潰れてしまい、縫い目のテクスチャーがあまり活きていません。またスパン糸の方が刺繍にボリュームがあるのか、刺繍を囲む様に色が乗っていない部分がグラデーションになっています。

次に転写したシルメイトの方では少しプレス圧を弱めてみました。影の部分を中心に糸目がよく出ています。また刺繍周りに生じたグラデーションもスパン糸に比べて落ち着いた印象です。適切なプレス圧はまだもう少し研究の余地がありそうですが、どうやらこの技法ではシルメイトの様なフィラメント糸の方が向いている様です。

シルメイト(プレス弱め)
テトロンスパン糸(プレス強め)

画像ではなかなか伝わりにくいですが、見る角度を変えたり指で触ったりすると、刺繍のレリーフによってモチーフが強調されているのがわかります。今回は布にエンブクロスを用いましたが、より一般的なポリエステル布で縫えばさらに強調されるかもしれません。多少グラフィックを選ぶ技法ですが、面白い効果が得られたので今後も実験を進めたいと思います。